2008年09月02日

オリンピックの感動を日々のケアカンファレンスに

北京オリンピックが閉幕しました。聖火リレーが各国をまわる間は、はらはらドキドキしましたが、開幕してからは、毎日 新聞を開くたびに 感動の嵐に巻き込まれていました。


感動を与えてくれるアスリート達のまぶしい姿を見ながら
そこにあふれる「感動」が何によってもたらされるかを考えさせられました。


まず、アスリートの中に
目標(夢)がはっきりしていて
その夢の実現に共感、共生する仲間がいて
その成果に希望をかけ、期待して見守っている観客がいて
陰で支えた方々への感謝があって
感動がわきあがるのではないかと思うのです。


私たちも自分自身で感動し、周りにも感動を与えるような働きをすることができたらどんなに素晴らしいことでしょう。


高齢者医療やケア、地域医療などは、急性期医療とは異なり、日々の地道な業務の繰り返しのように見えます。時には、「きたない、きつい、きけん」の3Kと言われることもあります。しかし、「この方を安全で安楽、そして幸せにしたい」という明確な目標(ケアプラン)をたて、それを皆(医師も看護も介護もコメデイカルスタッフもそして事務や委託業者たちまでも)で共有化し、それぞれが、自分の持つ最大限の力を発揮する事ができたら・・・そして、結果にとらわれずに、相手を認め励ましあって協力することができたら・・・表舞台では見えない場所で、現場のケアを支えている方々への感謝を表現できたら・・その現場の努力を関心をもって感心して見守る管理者や為政者がいたら・・・・一般に言う3Kではなく、「感心、感謝、感動」の3K、あるいは「共感、共生」を加えた5K、さらには「希望、期待」を含めた7Kの職場になるのではないかと思います。


オリンピックのアスリートたちもその感動にたどり着くまでは、地道な毎日の積み重ねでした。私たちの日々の医療やケアも同じです。だからこそ、その評価をするケアカンファレンスの時には、上記の7Kを意識して、小さな感謝、小さな感動を確認しあい、明日の医療やケアの活力にしてゆきたいと思いました。


「花を支える枝、枝を支える幹、幹を支える根、根はみえないんだなあ」相田みつを

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2008年07月07日

食前?食後?

先日、JALの機内誌に載っていた浅田次郎さんのエッセイから学んだことです。
日頃から、ほとんど風邪もひかず、医療機関と縁のない浅田さんが、胃腸炎にかかって病院に受診したときの話。


医師からは、「2、3日は、食事を止めてお腹を休ませなさい。水分だけを摂るように」と指示を受け、薬局でお薬をもらって帰られた浅田さん。家でお薬を飲もうとして、はたと悩んでしまったそうです。一つの薬の袋には、「食前に内服」と書かれ、もう一つの薬には、「食後」と書いてあるのです。しかし、医師の指示は、絶食! いったい、この2つの薬はどのように飲んだらいいのかと。


この記事を読んで、思わず笑ってしまいました。そして、私自身は、同じようなことをして、今まで、何人の方々を悩ませてきたのだろうかと反省してしまいました。「患者中心の医療」と言われて久しく、私も、それを意識してきたつもりでしたが、それでも、ここまで細やかに配慮ができていたでしょうか。とても自信がありませんでした。私自身に「なんくるないさ(何とかなるさ〜)」という沖縄人的な考え方が身についていて、そんなことに悩まないでお薬を飲んできたせいなのでしょうか…。


患者中心と言いつつ、やっぱり、まだまだ これまでの医療中心のパターンから抜け出せていないと感じる事が多々あります。自分たちの業務の効率化や流れの中で、療養者が置き去りになってしまっていることもあるかもしれません。
忙しさの中で、どれほど、相手の立場に立てるのか分かりませんが、心のアンテナをしっかり張って、このような小さな声に気づく感受性を持っていたいと思いました。


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2008年05月23日

ふきのとうのてんぷら 〜五感にまつわる想い〜

4月のこと、ある方が「ふきのとう」を送ってくださいました。沖縄ではほとんど手に入れることが難しい春の香りです。私は、早速、てんぷらにしていただきました。


私は春になると不思議と「ふきのとうのてんぷら」が食べたくなります。なぜそう思うのか、自分自身でもあまり深く考えた事がありませんでした。


今回、このふきのとうのてんぷらを口にした時に、「ふきのとうのてんぷら」にまつわる大切な思い出を思い出しました。義母の一周忌に、主人の実家に帰った時のことです。長い間一人で、寝たきりの義母の看病にあたっていた義父は、義母を失った辛い一年をどうにか乗り越え、とても穏やかな顔で私たちを迎えてくれました。


満開の桜の中。一緒に入ったおうどん屋さんで食べた春の山菜うどんと「ふきのとうのてんぷら」。様々な想いを溶かされ、義父とも心から家族となったような気がしました。


このときの気持ちは、これまで、誰にも話したことがありませんでした。主人にすらも。それほどそっと大切にしておきたい宝のような時間だったのです。自分では気づいていませんでしたが、「ふきのとうのてんぷら」を食べるたびに、あの時の暖かな気持ちがよみがえってきて、とても幸せな気持ちに包まれていたのでしょう。


今年は、贈ってくださった方のおかげで、この「ふきのとうのてんぷら」を病と闘っている義父とともに味わい、義母の闘病生活と義父との苦い葛藤、そして、それを乗り越えて心が一つにつながった喜びを再び思い起こしました。


五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)は、不思議なものです。自分で意識していなくても、その感覚に様々な想い出がつながっている事があります。幸せな事も、苦しい事も。年をとれば取るほど 蓄積された想い出はたくさんあります。


寝たきりになっても認知症になっても その五感で覚えている感情というのは、失われにくいものだと言われています。その方にとって、懐かしい、幸せな想いを引き出せるようなケアのきっかけに五感を活かせたらと思います。


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4月5月ととても忙しくて、ブログの原稿が書けませんでした。内容は、ちょっと、時期はずれになってしまったかも知れませんが、私にとって大切な出来事でしたので書き記させていただきました。アガペ会のホームページはここから


2008年04月07日

後期高齢者医療制度

先日、ある高齢者専用賃貸住宅(高専賃)のモデルルームに泊めていただきました。温泉旅館を改築して作った住宅で、温泉あり、マッサージチェアーあり、喫茶店もあって、とてもいい感じでした。


その温泉に入った時のことです。さすがに高齢者専用住宅だけあって、入ってこられる方は、私を除いて、皆さん、ご高齢の方々です。老人車を押して入ってこられる方、杖をついていらっしゃる方、身体には、長年生きてこられた証のしるし・・私もそう若くはないのですが、こちらのお風呂には、不釣合いな気持ちになって小さくそっと入ってゆきました。


それでも入ってしまうと、温泉のお湯はとても気持ちよく、心は柔らかく解きほぐされ、お年寄りの会話にも入れていただくことができました。その中のお一人がおっしゃった言葉が今でも心に残っています。


「60代は、年々 身体が老いる気がしたけど、70代になると、月ごとに どんどん年をとってゆくし、80代になると、それどころか、毎日毎日 身体が弱ってゆくような気がするよ」


高齢者医療に関わって10年。私の身体にも少しずつ「老化」が始まって、本当に少しずつですが、療養者やそのご家族の気持ちに近くなってきたような気がしていました。また、多くの高齢者やそのご家族とのお話の中で、少しは理解していると思っていました。だからこそ、法人の新人オリエンテーションで「高齢者医療やケアは、私たちがまだ到達していない高齢者の気持ちを想像して、そのご高齢の方もまだ到達していない残された時間がより豊かになるように療養者やご家族と一緒に創造するのです」などと 今思うと恥ずかしくなるような未熟な言葉を話していたと思いました。


「毎日毎日 身体が弱ってゆくような気持ち」を持つ高齢者の事を、まだ、日々 細胞が新しく生まれ変わっているような私たちが「想像する」あるいは「創造する」ということは、本当は出来ない事なのかもしれません。もっと謙虚に もっと素直に「療養者の本当の気持ちは分からないけど共に生きるものとして寄り添う」事を伝えてゆきたいと思います。


後期高齢者医療制度が始まりました。充分に熟していない制度です。バリバリ働ける年代が一生懸命考えて作った制度かもしれませんが、本当は、もう既に後期高齢者になった方々が、弱いながらも本音を言い、「自分たちの想い」と「将来を担ってゆく自分の子や孫の生活」も考えつつ これまで培った知恵を寄せ合って再検討していただくと 本当のあり方がみえるかもしれません。


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追伸:「創造」という言葉は、本来は、「無」から「有」をお創りになられる神様の業を指しているそうです。それを知らなかった私は、語呂合わせも兼ねて、「作り出す」というイメージをこの漢字に託しましたので、今回は、このまま載せます。しかし、今回の出来事を通して、「作り出す」と考える事自体が、若さゆえの傲慢だったと反省しています。

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2008年03月17日

ことばを消す消しゴム

先日、朝日新聞に載っていた 聖路加の名誉院長である日野原先生のエッセイの中で紹介されていた詩です。「なかのひろさんの詩集『とうさんのラブレター』(銀の鈴社)」から引用します。

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えんぴつで かいた字は
けしゴムで きえる
こくばんに かいた絵も
こくばんふきで けせる
口からでてしまった ことばけす
けしゴムないんだね
とりだせないんだね
きみの耳にささった
ぼくのことば
わすれられないよ
ぼくのむねにささった
きみの目
ことばけす
けしゴム あったらなあ

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言葉というのは、人の命を救う暖かい手にもなったり、目に見えないナイフにもなったりします。私は、昔から、言葉数が多くて、言葉ではたくさんの失敗をしています。だから、この詩を読んだ時、昔の古傷が痛むような気持ちになりました。誰かの心に残った「消したくても消せない私の言葉による傷」・・何年もたっていますが、今はどのようになっているのでしょう。


反対に、誰かの小さな一言が、いつの間にか私の心の奥に突き刺さって「棘」となって、時々、ささくれだってしまう事もあります。


神様は、私たちに多くの言葉を話せるようにしてくださいました。しかし、「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人はからだ全体をもりっぱに制御できる完全な人です。」と聖書の中にあるように、「言葉を制御すること」は、本当に難しいと思います。自分自身では、傷つけるつもりはなくても、思慮や配慮が足りなかったり、相手の事情や状況によっては、深い傷をつけることもあるのです。


聖書の中に「いつも 塩で味付けられた優しいことばを使いなさい」とか「相手の徳を高めることばを使いなさい」という言葉があります。神様が与えてくださった「ことば」を大切に使いたいと思います。また、同時に、「あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。」という聖書の言葉の通り、「相手のことば」に対しては、「私も同じ過ちを犯してきた者」として「消しゴム」を用意してあげたいと思います。

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2008年02月19日

効率化と雑用

診療報酬の改定の全容が少しずつ見えてきました。その中で、「多忙な医師の業務を補助する職員の配置」も急性期病院においては認められるようになりました。また、退院時の医療機関同士の情報交換に関しても、これまで、医師の情報交換のみが評価されていましたが、今回からは、看護師間での情報交換も認められるようになりました。


人も物も時間も貴重なこの時代、「効率化」は、とても大きな課題となっています。しかし、ただ単に「効率化」自体が目的化してしまうととても危険だと思います。「効率化」の最終目的をはっきりさせ、それを関係者皆がしっかり共有化しておかないと 手を離してしまった風船のようにふわふわと大空の中をさまよってしまうような気がするからです。そして、やはり、その「最終目的」とは、理念(自分たちが何のためにその仕事をしているのか)に結びつくものだと思うのです。


医師から「これは、看護がやった方がいいんじゃない」と言われ、看護からは「いえいえ、これは、○○が・・」と言われ、○○から「いやいや これは△△が・・」と言われ、△△では「いつも雑用が回ってくる」とやっかいもの扱いされる光景が想像されます。私は、この「業務」に顔がついていたら、あちこちから蹴飛ばされた痕がたくさんつき、ぐしゅぐしゅになった泣き顔になっているだろうなあと想像してしまいます。


私は、医療や介護の現場において『雑用はない、すべてが誰かのための尊い仕事』だと思っています。そして、業務の効率化の最終目的は、患者さんや利用者に私たちが提供できる最大限の医療やケアを提供する事だと思っているのです。そうであるならば、「紹介状に切手を貼って出す仕事」も「カルテを整理して誰が見てもその患者さんの状態が分かりやすい状況にする事」も とても大切な仕事になります。今回の改訂では、「紹介状」も「介護保険のかかりつけ医意見書」も「カルテ」すら、医師の補助者が書いてよいという事になりました(医師の指示と責任の元で)。確かに何度も同じような内容を書かなければいけない現状において、それらの仕事を誰かが代わって写してくれると本当に助かります。しかし、だからと言って、それらは、「雑用」ではなく、患者さんの次の医療につながる(もう少し突っ込んで言うと、患者さんの命や人生に関わる)大切な書類なのです。


医師にとって、一番の大きな仕事は、「患者さんの状況を常に把握し、自分の持つ最大限の知識や技術を生かして医療的判断をする、治療をする、指示を出す、患者さんや家族へ説明をする」ということです。それらは、「忙しい」事を理由に雑になってはいけません。24時間という万人共通の時間の中で、優先度の高い仕事に、より時間をかけると、優先順位の下がった業務は、本来はとても大切な業務であっても、雑になってしまいやすいです。しかし、医師にとって、優先順位の低いこの業務もそれを「あなたの業務」として指示された人にとっては、「大切な私の業務」なはずなのに、受け取った人が、「雑務が回ってきた」と考えて受け取る時に、それは、再び「雑な仕事」となり、その仕事もその方も価値が下がってしまうのだと思います。


「効率化」を目指して、その仕事が本当に必要なのかは確認が必要でしょう。そして、その仕事を自分がするほうが一番良いのどうかも確認が必要です。「○○という仕事は、△△がやるべき」という今までの慣習にとらわれた仕事の仕方ではなく、「私たちの病院(あるいは施設 あるいは事業所)の持っている財産(人・物・金・時間など)で最大限のパフォーマンス(医療やケア)を患者さんに提供するためには」、誰が、何をした方がいいのかと考えて、お互いに協力することが大切でしょう。「押し付け合い」ではなく、お互いの状況を確認しつつ、そして、一旦決まったら「雑用」と言わず、自分達の職場を作る尊い仕事と思って励む、そのような職場になるといいなあと思います。

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2008年01月11日

残り356日!今年もよろしくお願いいたします。

2008年も 早 10日が過ぎました。ある方に「今年もあと356日しか残っていないねえ(今年はうるう年です!)」と言うと 「“356日しか残っていない”と取るか“356日も残っている”と取るかでだいぶ違いますね」と言われました。


『しか』と『も』、

「プラス思考」と「マイナス思考」の考え方の違いと言われますが、同じ『しか』や『も』が、「プラス」にも「マイナス」にもなるような気がします。


「今年はこんな事もあんな事もやりたい」と思っていると「350日しかない」と言う言葉には、ウキウキした気持ちが顔を覗かせます。ところが、「今年は、これだけの事をしなければならない」という気持ちで「350日しか」と言うと時間がなく焦っていることが分かります。


一方、「今日もこの仕事をしないといけないんだなあ・・」と思って「350日も」と言うと何だかどんよりとした曇った顔になるし、「今日もこの方の笑顔のために」という気持ちで働く時には「350日も」という言葉には、“この方の残された時間のために”という暖かい心を感じます。


聖書の中に「一日の苦労はその日一日で充分です」という言葉があります。「今」生かされている私たちは、「今」を大切に、その時できる事を最大限にしなさいという事だと聞きましたが、「言うは易し、行うは難し」です。忙しさにかまけて、惰性になってしまったり、乱雑な仕事をして後から後悔することもたくさんありますし、反対に、いつまでもぐずぐずと過去を引きずって前に進めないこともあります。日航機墜落事故、阪神淡路大震災、911テロなど大きな事件が起こるたびに「今日、生きている事、生かされている事」の重要さが話題になりますが、このような大きな事件でなくても、毎日のように新聞に載る交通事故や悲惨な出来事によって尊い命が失われている現実の中で「今日も命が与えられている」事の厳粛さをもっとお互いにかみしめあい、感謝しあいたいと思います。


2008年、「今日のいのち」を与えられた私たちは、同じように「今日のいのち」を生きていらっしゃる方々のために、心をこめて、毎日の業務に励みたいですね。「356日しか」も「356日も」も言葉にする私たちの「心」によって「プラス」にも「マイナス」にもなります。「マイナス思考」で自分の心をすり減らすより 視点を変えて自分の心のコップにたくさんのハートをためて、より多くの方に同じようにたくさんのハートを配っていきたいと思います(過去ブログ参照)。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2007年12月26日

“ありがとう”は、魔法の言葉

最近、私は、炊飯器クッキングに凝っています。肉じゃが、白菜のスープ、チキンの煮物などなど、簡単にそして美味しく作れます。今では重宝しているこのやり方も、友人から紹介された当初、なかなか実践までに至りませんでした。簡単な事でも忙しい中で新しく始めるには、やはり、何かきっかけが必要でした。


そのきっかけとは・・・


実は、10月より、義父と同居することになりました。義父は、義母が倒れてから何年もの間、一人で暮らしていました。専業主婦の義母に生活のすべてを任せていた義父にとっては、とても大変な生活だったと思います。その義父と同居するにあたって心配したことのひとつは食事のことでした。心配する私を尻目に、いつも「美味しい。美味しい」と私の食事を食べてくれます。そして、何につけても「ありがとうね。」と本当に心からの感謝の言葉を贈ってくれるのです。


聖書の中に「あなたの右の手のしている事を左の手に知らせないようにしなさい」とか「見返りを求めず」という言葉があり、私は、相手からのお礼の言葉の有無に囚われないように心がけてきました。実際、管理者がする様々な配慮というのは、その立場に立った者でないと理解してもらえない事が多く、相手からの感謝を期待したり、こだわったりするとかえって心が苦しくなると思っています。そういったこともあって感謝されることを考えずに過ごしてきました。


ところが、この義父の「ありがとう」の言葉は、魔法の言葉でした。義父が喜んでくれるので、私は、「もっと何か新しい料理は作れないか」とか「お義父さんは、こんな事を喜ばれるのではないか」と忙しい合間をぬって、料理の本を開いたり、思いを巡らせたりするようになったのです。また、それが、ちっとも苦にならなくなっています。本当に不思議な気持ちです。


翻って、わが身を振り返ってみると、忙しさにかまけて「ありがとう」の言葉を飲み込んでいる、あるいは、省略しているような気がしました。夫に対し、子供たちに対し、また、周囲の方々に対し・・・・特に、親しければ親しいほど、「私の気持ちは、分かってもらえるだろう」という思い込みや「家族だから当たり前」という気持ちで。しかし、今回の義父の「ありがとう」が、私の心をほっと温かくしてくれたように、この魔法のことばは、もっと大切に使わないといけないなあとしみじみと感じました。


私たちのお預かりしている療養者の多くは、認知症や意識障害などがあり、ご自分で感謝の言葉を言う事のできない方たちです。その方たちに代わって、私たちが、療養者のご家族に「ありがとう」という言葉をお伝えする事ができたら、きっと、介護者の心にも暖かい灯がともるような気がします。


お互いに不十分な事はたくさんあります。それでも、その不十分さを鋭い言葉で追求する前に、心をこめた「ありがとう」の言葉が日本中を飛び交うと 政治も医療も家族関係も もっと豊かになるように思います。


神様の愛の具現化としてのイエスキリストの誕生日 クリスマス、そして、一年の区切りとなるお正月を機会にもう一度、周囲の方々への「ありがとう」を心をこめて使いたいと思います。

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2007年12月06日

終末期ガイドライン

救急医学会から「終末期ガイドライン」が出されました。「医療を受けられるだけでも良い」の時代から「医療を選ぶ」時代へと変化し、また、医療技術の進歩とともに、「その方のもっておられる生命力」以上の「生」が可能になりつつあって、だからこそ、医療を担っている医師や看護師、そして、ご家族も 死生観や倫理観が問われる時代になったのでしょう。


ある方が「人は、死の直前まで本当の死を意識しないんだよ」とおっしゃったそうですが、確かに、「死んでもいいから、酒もタバコも止めない」と言っていた人が、いざ、死を目前にした時に「酒もタバコも止めるから助けてくれ」と言うこともあり、また、「自分はもう死んでもいいから」と癌の精密検査を拒否されている高齢者が、「飛行機に乗ると、落ちたら死んでしまうと考えると怖くて飛行機には乗れない」と言う言葉を聞いた事があります。人の心というのは、本当に複雑です。


高齢者医療における「終末期ガイドライン」は、救急医学会とはまた、別の視点で考えていかなければなりません。平均寿命を超え、あるいは、様々な疾患を抱え、身体の機能が落ちてきた高齢者にとって、どのような「生」が最善なのかと考えると、お一人お一人考え方も状況も異なり、すぱっと割り切れないのが現状です。


アガペ会が関わった方のご遺族の方々とお会いするチャンスがありました。訪問看護などの在宅サービスから始まり、デイサービス、老健ショートステイ、そして、病院での長期療養と17年もの間、お付き合いさせていただいた方、当院での長期療養後に、最期の最期をご自宅ですごされた方、何度も入退院を繰り返しつつ、在宅での療養をご家族とともに訪問診療、訪問看護で支えた方、急性期病院との往復をしつつ、最後まで、当院で療養された方・・・カルテを開くと、そこには、「その方の人生の歩み」と「支えるご家族の想い」そして「迷いつつも精一杯の仕事をしている医師をはじめとするスタッフの姿」がありました。


これまで、私たち医療者は、「死は敗北」であるという教育を受けてきました。しかし、私は、高齢者医療を通して「高齢者医療にとって死は敗北ではない」と思うようになりました。むしろ、「人生の集大成の時期にどのように関わり、どのようにすごしていただいたか」が私たち医療スタッフの医療の質ではないかと思います。確かに、限られた医療保険、介護保険の中では、人手も時間も制限されています。しかし、その中で、その方の人生の光り輝く夕日の時をご家族とともに、できる限り豊かに支えてゆきたいと願っています。

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2007年11月22日

故人を偲んで

先日、アガペ会でお亡くなりになった方々のご遺族とお話をする機会が与えられました。下記は、その時に、いただいた詩です。

一人の方の命の最期のときに関わる事の重さを感じました。

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あれからどのくらいたったのでしょう。
ふとした拍子にあなたが傍にいるような気がします

春の陽だまりの中で
夏の雲を見上げた時に
あなたの笑顔 あなたの汗 あなたの手のしわ
あなたを抱き上げたこの腕は 
あなたの重さを今も覚えています。

思い出を語ると涙がこぼれてしまうけど
時の流れとともに
涙は感謝に変わるでしょう

あなたの人生に神様の恵みがあふれていたように
私の人生にも神様の恵みを感じるから


日々の生活は何事もなかったように
私の心を置き去りにしてせわしく流れてゆきます。

秋の風の匂い
街にあふれるクリスマスソング
あなたの匂い あなたの声 あなたの息の音
あなたに教えてもらった一つ一つのことばが
今では、私の人生訓となりました。

時にはちょっぴり寂しいけれど
多くの人とともに
私は笑顔で生きてゆきます

あなたの命がアガペの心に支えられていたように
私の命もアガペの心に包まれているから


あなたと歩いた廊下の壁に
「アガペに生かされ アガペに生きる」と書いてありました

暑い日も大風の日も
安心を運んでくれた皆さんのことば
通所でも 訪問でも 電話での応対でも
病院でも 老健でも どこででも
多くの優しさに囲まれました

生きる事の厳しさと生かされる事の重さ
あなたを通して
たくさんたくさん知りました。

命が命を生み育んできたように
アガペの愛が医療と介護の根源だったから

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